Ry Cooder その2 Ry Cooder 1st
ライクーダーの1971年に発表された、ファーストアルバムを入手しました。
日本語題名は「ライクーダー登場」 これしかないんか?
しかし、なんという自信に満ちあふれた素晴らしいジャケットなんだろう。

朝焼けのドライレイク エルミタージュにキャンピングカー。その車の横に立ってる主人公のライ。ジャケ上部にはネオン管で作ったような RY COODERの文字
調べたところ、この場所はLAから2時間くらいで着く干上がった湖とのこと。
ここでよくドラッグレースなど行うらしいです。
よく蜃気楼が見えるそうなんでエルミタージュ(蜃気楼)というそのままの名前がついたそうです。
まさに満を持してのデビューアルバムのカバーといえますね。

国内初盤はカタログNOがP-8060になっています、という事はこれはいつの盤なのだろう?
8000盤の後は10000台になっているようなので全くもってこの盤は謎です。
しかも定価は1500円、国内初盤は2000円のはず。
何年か後に出た原価盤ということなんだろうか?
今のところこれ以上分かりません、調べて分かったら追加随筆します。
※ 調べたところ、この盤はロック・フォーエヴァー1500という原価盤シリーズでした。 いずれUS初盤を手に入れたいと思います。
僕の予想としては、ロック・フォーエヴァー1500シリーズというのは初回盤のリリース時に売れ残った商品を集めて再度定価を下げて売りつくすための手段のシリーズであったのでは?と思います。
だからレコードに刻印してあるNOは初回盤のナンバーなのかな?
と考えてます、違っていたらすいません。
小倉エージさんのライナーにローリングストーンズとの逸話が記してあります。

有名なレットイットブリードのセッションに参加したライですが、、ストーンズ側はスタジオに入っても遊んでばかりで録音する気が全くなく、ひと月ほど同じ状態が続き、その間にライは自分の得意のスライドギターのフレーズなんかを披露したいらしいのですが、
実はストーンズ側はすべてライの弾いていたフレーズを録音していたのです。
それをキースがこっそり練習してライのフレーズをパクって曲作りをしているところをライが目撃、ライは怒ってそのままイギリスを離れた云々・・・・
「あのスタジオで僕がやったことがレットイットブリードに化けたのさ」
「ホンキートンクウーマンは僕の持っていたフレーズだよ」
とライは言ってるのでした。
その後のキースのあのオープンGのカッティングは、実はライの影響だったのかも知れませんねー。そー考えるとライがいなかったら、ブラウンシュガーとかも生まれなかったのだろうか?

楽曲は1曲のみ自作のインスト、あとはすべてカバーです。
ウッディーガースリー、ランディーニューマン、から戦前戦後のブルース、スリーピージョンエスティス、ブラインドウィリージョンソンなどの曲をやってます。
プロデューサーはアメリカ再発見、バーバンクサウンドの仕掛け人であるレニーワロンカーとヴァンタイクパークス。
先にセカンドを買ってしまったのですが、このデビューアルバムはアコとエレキを半分づつくらい使ってスライドで演奏してます。
はっきり言ってライのへたうま的なボーカルが、このアルバムではただ単に下手という感じですが、それも味わいがあってグッドですね。
ラスト2曲のブルースのカバーは本当に素晴らしいと思います。
今更ながらまたまたライクーダーにハマってしまいました。